こんにちは、しろです。
あなたにとって
「楽」「快適」「安心」て
何だと思いますか?
もし、あなたが
それに答えられるなら、それは
「あなたが意識出来る部分だけ」
かもしれません。
今回は
「あなたが意識出来る部分」
に限らない「楽」「快適」「安心」
についても取り上げてみます。
コンフォートゾーンとは
皆さんは「コンフォートゾーン」という言葉を
聞いた事がありますか?
「コンフォートゾーン」とは
「本人にとって心理的あるいは、無意識的に快適で安心できる領域」を言います。
なんか、イメージ良さそうですね。
しかし、その内容はと言えば
「楽」もあるけど「苦」もある。
更に言うと、その内容を
「本人が維持し続けようとする」
つまりコンフォート(快適な)ゾーン(領域)とは
「文字通りの意味」もあるが
「それとは対照的にとれてしまう部分もある」。
なおかつ
それらを本人が「維持し続けようとする」
これが結論です。
ちょっと分かりづらいかもしれませんね。
私の場合、この
「コンフォートゾーン」という言葉を
以下のように捉えています。
★「自分が今迄通りで居られる状態」
★「いつも通りの自分で居られる状態」
例えば、私の場合
朝6時に起床して準備をし
車で仕事へ向かう。
いつもの事なので
ストレスも何も感じません。
ところが、来週から
仕事の先輩を迎えに行ってから
仕事へ向かう事になったので
30分早い出勤になったとします。
すると
「今迄通りの時間まで寝ていられなくなる」
「朝はぼーっとしたいのに、何か話さなきゃ」
という肉体的、精神的ストレスが
生じてくるんです。
簡単に言えば
「ちょっとだるい」、「面倒くさい」
なんて「言い方」が
出来るかもしれません。
これって私にとって
「コンフォートゾーン」が奪われる
あるいは、侵される
状態と言えます。(ちょとオーバーですが)
出来る事なら、この状況が
「早く終わって欲しい」と
願うところです。
つまり、「今迄通りの状態に戻したい」
そして、「今迄通りの状態を維持したい」
と思っていると言えます。
私の例の場合は
「コンフォートゾーン」の和訳と内容が
そのまま当てはまるのです。
しかし、前で述べた「内容」には
「楽」とは対照的な「苦」がありますが
これはどういう事でしょうか?
この「苦」を「快適」と捉え、それを維持する。
なんか、「あべこべ」で
「おかしな事」言っている
と思いませんか?
以下で例をあげて
説明したいと思います。
楽な状態が「苦」で苦な状態が「楽」?
「コンフォートゾーン」という言葉は
「人が何かを向上させたい時」に
「コンフォートゾーンを脱する」という形で
現れてくることの多い言葉です。
例えば、「もっと経済的に楽になりたい」
と思った時に「転職」等を考えます。
転職先でやっていけるだけの
知識や技術もあるのに
そちらに足を1歩踏み出せないでいる。
そんな時ってありますよね。
確かに、転職となると
転職先での人間関係が不安だったり
今の職場での事情等もあるので
その辺りが足かせにはなるでしょう。
でも、そういった中において
「転職」出来る人、出来ない人とに別れます。
両者共に現状に対しては
不満なんです。
「言い方」を変えると
「苦」なんです。
転職する人…… 苦な状態が「楽」へ
●勇気や思い切りの必要な「苦な状態」を一時的に味わう
→「楽な状態」へと向かっていく。
転職しない人…… 楽な状態が「苦」
●現状維持なので、ある意味「楽な状態」でいられる
→「苦な状態」が続く。
(一時的に味わう「苦な状態」とは別です)
私はこれを
楽な状態が「苦」で苦な状態が「楽」と
考えています。
「転職しない人」はそのままでは
「苦」が続くのに
何故1歩踏み出せないのでしょうか?
それには、「人間の本能」が関係しているようです。
わたしの調べによると
太古の昔、人は狩猟等で
生活を営んでいました。
そして、社会の基盤といえるものも存在してなかったんです。
・警察はいない
・道が整備されてない
・携帯電話が無い 等々。
そんな中での生活は
「恐怖に敏感」
になっちゃいますよね。
・けものに襲われるかもしれない
・敵に襲われるかもしれない
・土砂崩れが起きるかもしれない 等々
というようにです。
だから
○いつもと同じ道を通る
○入ったことの無い山には入らない
等となります。
つまり、「今迄通り」「現状維持」という事が
「身を守る」上で最良の手段であり
結果として、「安心感(コンフォート)を手に出来る」
という事だったのです。
そして、この記憶が
社会の基盤が出来上がった現代においても
「本能」として脳内に
残っていると言われています。
だから、転職しない人は
「この会社、この仕事やめたい」と
いいながらも、「現状維持」してしまうのです。
つまり、「本能のいいなり」
とも言えますよね。
この為、冒頭の「コンフォートゾーン」とはの内容で述べた
「無意識的に」とは「本能的に」とも言えるでしょう。
「コンフォートゾーンとは何か?楽な状態が「苦」で苦な状態が「楽」?」まとめ
人が「何かを変えたい」と思ったら
「今迄通りの思考、行動」では
基本的には何も変わらないと思います。
しかし、「では、こうして行こう」と思うと
それを阻む「モヤモヤした何か」が現れ
ズルズルと「先延ばし」してしまいがちです。
客観的にみれば
不満は言うものの
「実行力の無い人間」にさえ
見られるでしょう。
しかし、そこには
自分そのものを守る、生得的とも言える
「本能」というものが関わっていたと言えます。
それこそが
「コンフォートゾーンに居続ける」
という結果を招いていたのです。
この「本能」も時代によっては
そぐわない面もありますが
必ずしも無意味ではありません。
その証拠に今でも
「治安の悪い地域」に行けば
私達は用心深くなりますし
行く事さえやめる時もあります。
例え、「大丈夫だよ~」
と周りから言われていてもです。
それは「本能」というものが
しっかりと「警戒」し、自分を
「守ろう」としてくれている為と言えます。
しかし、現代を生きる私達が
何かを向上させる上で
それが「へんに、働いてしまう」のであれば
「その性質」を知り、うまく活用したいものです。
というわけで今回は
この辺で終わりたいと思います。
最後まで読んでくださり
有り難うございました。